2020.07.16
内藤とうがらし
内藤とうがらしって何?
昔々、江戸時代。
四谷、代々木、千駄ヶ谷、新宿御苑と大久保が内藤家の領地だった頃のお話。
日本橋から高井戸の宿場までの4里は長く、中継地点として新しく宿場が作られる事になりました。
それこそが内藤家が作った新しい宿場、【内藤新宿】にございます。
内藤新宿には名物がございまして、秋になりますと一面天に向かって伸びる八つの房、その名も【内藤トウガラシ】。
その実は風味が良く、程よい辛さが売りでございました。
江戸に流行った蕎麦ブームにのっかり、瞬く間に江戸の名物として認知された【内藤トウガラシ】。
一時期は新宿御苑から大久保までが、見渡す限りの一面の赤色だったと伝えられております。
しかししかし、諸行無常の響き有り、一世を風靡した【内藤とうがらし】でございましたが、大陸からの使者、2倍も辛い【鷹の爪】にお役を奪われてしまいます。
増えた人口による都市化も進み、畑もどんどん減った結果、【内藤トウガラシ】は絶滅の道を辿ったのでありました。
時は進みまして2004年、成田重行氏が数ある江戸野菜の中から、内藤トウガラシに目を付けます。
絶滅した唐辛子を探す旅の始まりです。
まずは古い文献を調べ、内藤家現当主の元へ、時には長野、時には愛知、滅びた種を探す旅は困難を極めますが、あきらめない心で、最後は筑波の研究所にたどり着き、希少な数粒の種を譲られます。
山梨の畑で隔離育成する事3年、プロジェクト発足から9年の長い歳月をかけて、2013年、ついに伝統野菜の仲間入りを果たし、現代に蘇った【内藤トウガラシ】。
そして現在2020年、かつて内藤新宿だった一画、歌舞伎町屋上にて、新宿で育て新宿で消費するをテーマに、【新宿メトログループ 内藤とうがらし自社ビル屋上栽培プロジェクト】が、始動するに至るのです。